真宗Q&A

普段からよくお尋ねいただくことにお答えします。

Q1.なぜ、本願寺には西と東があるのですか?

 

A1.本願寺の起源は親鸞聖人の廟所なので、当然ながら元々本願寺は一つでした。ところが江戸幕府が始まった直後、

 一六〇二年に、徳川家康が深く関わる中で、本願寺は東西に分かれ現在に至ります。

 これには様々な歴史的背景が深く関わっています。

 詳しくはこちらをご覧ください。

 

 


 

 

Q2.浄土真宗では「おしょうさん」とは呼ばないのですか?

 

A2.浄土真宗ではお坊さんを「おしょうさん」とは呼びません。

 全国には色々な呼び方があります。佐賀県では浄土真宗の僧侶は「ごいっさん」と昔から独特の呼び方で親しみを込めて呼ばれてきました。

 全国には「住職さん」、「ご院家さん」、「ごえんさん」「おじゅっさん」など色々あるようですが「おしょうさん」とは呼ばれていません。

  

 「ご院主(いんしゅ)さん」が訛って「ごいっさん」となったそうです。「院」は「お寺」を指しますので、「お寺に住んでいる者」、またその主を意味する言葉です。全国には色々な呼び方(全国で一番多数派は「ご院家さん」関西地方は「ごえんさん」等々)があるようですが、浄土真宗で「おしょうさん」と呼ばれている地域はありません。

 ではなぜ「おしょうさん」とは呼ばれないのでしょう。

 

 「和尚」は仏教において弟子が師を呼ぶ敬称です。

 私たち浄土真宗の僧侶は、「師」であるどころか皆さんに育てて頂く立場ですから、「師」の意の「和尚」と呼ばれることに違和感を感じるのです。 


 Q3.法名?戒名?院号ってなあに?

 

A3.浄土真宗では、「戒名」と呼ばずに「法名」といいます。「法名」は仏弟子として、仏法をよりどころとして生活する証しとして本山から授けられるものです。名前の頭には釈尊の弟子であるという意味の「釋(しゃく)」または「釈(しゃく)」という字が用いられ

「釋 英 紀」や「釋 弘 史」

のように、釋のあとは漢字二文字で構成されます。亡くなってから与えられる「戒名」とは種類が違い、生前からいただくことができるので、鹿島組のお坊さんや、本山でおかみそりを受けて帰敬式を受けられた方も、みんなこの名前を持っています。

 

 浄土真宗のみ教えは、社会的地位や修行の度合いによって死後の「位」が定まるものではなく、信心一つで皆ひとしく浄土に生まれることができるというものです。ですから、法名以外に「〜位(くらい)」や「霊位(れいい)」などの字をつけることはありませんし、「居士(こじ)」や「大姉(だいし)」といった言葉も使いません。字数の多少や、院号の有無によってくらいが決められるのではなく、皆等しく浄土という最上のおさとりの世界に生まれさせていただくのです。

 

 では院号とはなにかといいますと、仏法を弘め、宗門護持に尽くした人を讃(たた)える意味でおくられるものなのです。具体的には宗門の護持発展に役立てる意味のお気持ちを、懇志というかたちで本山にお納め下さった方に対して、お扱いのひとつとして交付されます。遺されたご遺族も、故人を追慕するという形で懇志を納められることも否定はできませんが、遺族の方も、み教えを喜び、宗門護持発展を願う気持ちが大切です。けっしてお金で買うものではありません。なお懇志の金額や、その他わからないことがあれば、西本願寺に直接お尋ねいただいても構いません。


 Q4.浄土真宗の熨斗袋の書き方を教えてください。

 

A4.葬儀や法事など喪主(施主)が僧侶に差し出す金封には「御布施」と書かれることが多いようです。この「御布施」は、お寺の御本尊・阿弥陀さまにお供えするためのものです。僧侶に渡す金封で、「御布施」以外の、「御礼」「御経料」「回向料」などは趣旨から言って、ふさわしくありません。

次に、他家の葬儀や法事に参列した場合です。仏事関係の本には「御霊前とする」と書いてあったり、「御霊前」の文字を印刷した金封もありますが、故人の霊に捧げるのではなく、仏さまに捧げるので、書くなら「御仏前」です。ほかに、「御供」「御香典」「御香資」などが使われています。


Q5.彼岸とは?

 

A5お彼岸の中日は秋分の日です。しかし「彼岸」という言葉は季節を表す言葉ではなく、「お浄土」のことを表します。秋分の日には太陽が真西に沈みます。その真西に沈む太陽に西方極楽浄土を重ね合わせたことが「彼岸会」の始まりです。私たちが今いる世界「此岸」から、仏様の世界「彼岸」に想いを馳せ、あらためてお念仏とともに生きて行くことの尊さと有難さを味あわせていただく大切なご縁です。

どうぞ皆様お参りしましょう。


 

Q6.お仏壇のお華は、どうしてこちら向きにお供えするの?

 

A6.確かに、仏様に対してお供えしているのに、こちら向きにしているのは、よく考えたら不思議ですよね。 

 お仏壇のお飾りには仏様の心が表わされていますが「花」は、仏様の「慈悲」の心を表しています。

「仏様の大慈悲の心は、常に私たちに向けられている」

からこちら向きにお供えするのです。

 私たちが何をしている時も何を考えている時も、仏様は私たちが心配で「決してひとりにしないよ」と私たちにかかりっきりです。仏様の優しいお慈悲を表すので、バラなどのトゲのある花や、彼岸花などの毒のある花は基本的にはお仏壇にお供えしません。

 

 十一月も下旬のもう薄暗くなった夕刻。幼稚園にある男の子のお母さんがいつも通り仕事を終えてお迎えに来られました。男の子はお迎えを知ると、帰り支度をし挨拶をして、いつも通りお母さんと手を繋いで門の方に帰っていきます。ところが、門の手前でお母さんの手を振り払い、砂場に向かって駆け出し、遊び始めてしまいました。

早く家路につきたそうなお母さん

「ちょっと!はよ帰るよ!」と言いいますが、男の子は砂遊びに夢中で全く言うことを聞きません。何回か同じ言葉を発しましたが、全く耳を貸さない我が子にいよいよ愛想をつかせたのか

「もうよか!おかあさんだけ先に帰るけんね!」

と言って、車に乗って先に一人で帰って行かれ・・・はもちろんしません。

 そう言いながらもそこを離れてはおれない、我が子を一人残しては帰っていけないのです。

 

 阿弥陀如来という仏様も同じ。私の所を離れてはおれない仏様です。今すでに浄土から私の所に来てくださって、いつもそばにいてくださり、命の縁が終わる時に一緒に浄土に帰ってくださいます。その心を「大慈悲」といい、それを表すのがいつもこちらを向いてくれているお仏壇のお花です。